Historic Pink スペシャライズドライダーのジロ・デ・イタリア2022
グランツール初戦「ジロ・デ・イタリア」が閉幕。スペシャライズドバイクと最高の選手たちの勝利の歴史に加わった新たな1ページを振り返ってみましょう。
Top画像 @CAuldPhoto
初めてジロ・デ・イタリアを迎え入れたハンガリーがピンクに染まった。近年自転車熱が高まりつつある中欧の小国で熱烈な歓迎を受けながら、選手たちはジロ最初の3日間を過ごした。ハンガリーステージの最終日である第3ステージは「ハンガリーの海」と呼ばれる中央ヨーロッパ最大の湖バラトンを抱く観光保養地バラトンフュレドを目指すスプリントステージ。主催者の目論見通りにスピードマンたちによる今大会最初の集団スプリントが繰り広げられ、マーク・カヴェンディッシュ(イギリス/クイックステップ・アルファヴィニル)が約300mに渡る圧巻の長尺スプリントを披露し、勝利を収めた。
「マン島ミサイル」の超加速が光った第3ステージ。カヴとウルフパックトレインがライバルたちを圧倒した。© 2022 Getty Images
カヴェンディッシュらしい低い姿勢とTarmac SL7のエアロ性能の相乗効果は抜群だった。9年ぶりの出場となるジロ・デ・イタリア、その最初の集団スプリントステージで勝ち切る勝負強さは流石の一言。カヴにとってのジロ通算16勝目はグランツール区間53勝目、そしてプロ通算160勝目にあたる。走る度に記録を打ち立てていく、それがレジェンドたる所以である。
カヴェンディッシュのルームメイトとしてジロを過ごしたジェームス・ノックス(イギリス)は「カヴが勝ってくれたことでチームのプレッシャーはなくなった」と語る。もちろんチームは「ウルフパック」という二つ名の通り区間勝利を貪欲に追いかけていくのだが、今年持ち帰ることができた勝利は1つだけ。リードアウトマンを担うミケル・モルコフ(デンマーク)が発熱により途中離脱した後は、スプリントでも苦戦を強いられた。
マウロ・シュミット(スイス)やマウリ・ファンセヴェナント(ベルギー)ら若手が積極的に逃げからの勝利を狙った。
第19・20ステージはダヴィデ・バッレリーニ(イタリア)も逃げグループを牽引し強力にアシスト。© 2022 Getty Images
ハンガリーに別れを告げたプロトンは移動休息日を挟んでシチリア島に降り立った。第4ステージのフィニッシュはヨーロッパ最大の活火山であるエトナ。大会最初の難関山岳ステージではあるが、斜度が緩いエトナ山はステージハンターたちの格好の獲物。第1ステージのラスト2kmの登坂区間でも飛び出していたチームきってのアタッカー、レナード・ケムナ(ドイツ/ボーラ・ハンスグローエ)が序盤から逃げに乗り、狙いすましたスパートで勝利を射止めた。ケムナにとって2020年ツール・ド・フランスに続くグランツールのステージ2勝目である。
エスケープスペシャリストとしてプロトンでの存在感を増しつつあるケムナ。このジロではチームのキープレイヤーの1人として活躍。
戦いの場はシチリア島からイタリア本土へ。ステージハンターたちがしのぎを削る様を見つめながら、総合順位を争うクライマーたちは前半戦のクライマックスになるだろう難関山岳ブロックハウスにフィニッシュする第9ステージのことを考えていた。果たして10%超の急勾配が続くブロックハウスでは今大会最初の総合争いが勃発し、今年のジロを勝つに値する選手とそうでない選手を明確にあぶりだした。この日残ったのは6人で、勝ったのはジャイ・ヒンドレー(オーストラリア/ボーラ・ハンスグローエ)。データの上では決して最強ではなかった彼だが、フィニッシュ前の複雑なレイアウトを考慮して誰よりも早く加速を開始。この冷静な動きが決め手となった。Tarmac SL7による今大会2度目の登りスプリント勝利であり、いずれも直前に設置されたテクニカルなコーナーを制しての勝利である。
登りスプリントで見事ライバルたちに競り勝ったヒンドレー。登りで遅れる場面もあったが、ライバルの力も利用しつつ落ち着いて走り続けた。
ボーラ・ハンスグローエのチーム設立は2010年。2017年にペテル・サガン(スロバキア/現トタルエネルジー)を迎え、ファーストディヴィジョンであるワールドツアーチームに昇格した。サガンを中心としたワンデークラシックとステージレースのチームとして歩んできたが、今年チームは大きな決断を下した。サガンと契約更新を行わず、代わりにヒンドレーをはじめとした総合系選手を複数獲得、長年の悲願であるグランツール制覇を目指す体制への転換を図ったのだ。
変化なくしては、生き残っていくことも、勝ち続けることもできない。それは「Innovate or Die(革新か、さもなくば死を)」というスペシャライズドの精神にも通じる考えである。
今回指揮を執ったエンリコ・ガスパロット監督も変革に際して今年チームに合流した1人だった。チームがジロに賭けることを決めたのは昨年の冬。ヒンドレー、ウィルコ・ケルデルマン(オランダ)、エマヌエル・ブッフマン(ドイツ)のトリプルエース体制でチーム史上初のグランツール表彰台を狙うプランが採用された。イタリア出身スイス籍のガスパロット監督はチームの意図をよく理解し、ジロを戦う準備を進めてきた。冬の間に入念にコースの下見を行い、どこで攻撃すべきかを考えた。第14ステージで仕掛けた全員参加の猛攻も彼のプランだった。
ライバルを驚かせる大胆な作戦はボーラ・ハンスグローエのお家芸。この日のケルデルマンの牽引は強力の一言だった。
こうしてボーラ・ハンスグローエがレースを盛り上げる日もあったものの、総合争いという点では今年のジロはスペクタルのない日が続いたかもしれない。サプライズは確かにあった。総合表彰台を争うと思われたライバルたちが次々と怪我や病気でレースを去っていくという、誰にとっても嬉しくないものであったが。そうしたハプニングを除けば、前半戦のクライマックスだった第9ステージで明らかになった上位勢の力関係が大きく変わることはなかった。
ステージの進行とともに、総合優勝者に与えられるマリアローザ(バラ色のジャージの意)をめぐる戦いは徐々に一騎打ちの様相を呈していく。3年前のジロ覇者にして総合優勝最有力候補リチャル・カラパス(エクアドル/イネオス・グレナディアーズ)、そしてヒンドレーとのシングルマッチである。
ヒンドレーがカラパスに遅れを取ったのは2回だけで、失ったタイムは初日(登りスプリント)の4秒と2日目(個人タイムトライアル)の6秒のみ。3日目以降第17ステージまでは同一集団でフィニッシュしている。ただしボーナスタイムを争うスプリントはヒンドレーが競り勝っており、カラパスに対して7秒をリード。こうして第14ステージでマリアローザを手に入れたカラパスとヒンドレーのタイム差が3秒という僅差を保ったまま、勝負は最終盤に持ち込まれることになった。
カラパス、ヒンドレー、そしてミケル・ランダ(スペイン/バーレーン・ヴィクトリアス)の3人が今ジロの3強となった。
ヒンドレーが緊張を感じ始めたのは第18ステージだったという。フィニッシュ手前1kmで起こったパンクのせいでライバルたちの背中を見送った時、初めて自分が総合優勝を狙える位置にいることを明確に認識した。救済措置によりタイム差こそつかなかったが、ここまでチームと自分がどれだけレースを上手にコントロールしてきたかを改めて実感したのだ。
チームの士気は高く、グランツール常勝チームであるイネオス・グレナディアーズ相手によく戦ってきた。トリプルエース体制が崩れた後は、ケルデルマンもブッフマンもヒンドレーのために尽くした。ライバルたちに絶えずプレッシャーを与えつつも決して無駄な力を使うことはせず、周囲が驚くほどあっさりと引き下がることもあった。辛抱強くチャンスを待ちながら、彼らはヒンドレーを守り、温存し続けた。だから最後の山岳ステージである第20ステージに全てが託されることになっても、冷静でいた。
最終日の個人タイムトライアル前に置かれた最難関ステージには今年の最高峰ポルドイ峠(標高2,239m)をはじめドロミテ山塊の厳しい山々が待ち受ける。勝負所は今大会最後の山頂フィニッシュとなるフェダイア峠。斜度のきつい直登が続くラスト6kmに全てを賭ける。
最終決戦の舞台フェダイア峠。斜度10%超が延々と続く登りは過酷そのもの。
この日ケムナが逃げグループに入ったのは予定外だった。ステージ勝利を狙う動きだと思われ、警戒されなかったのかもしれない。ボーラ・ハンスグローエは残った6人でヒンドレーを守りつつ、静かに残り距離を消化しながら、先行するケムナを含む逃げを追いかけていく。やがて逃げグループが分裂し、メイン集団も最後の登りであるフェダイア峠に入った。ラスト6kmの急勾配区間に突入しイネオス・グレナディアーズがカラパスのためにペースを上げると、集団はヒンドレーを含む精鋭だけに絞られる。最後の勝負が始まった。
ヒンドレーは焦ることなくその時を待った。そして最大斜度18%に達する残り3kmを切ったタイミングで、渾身のアタックを放った。カラパスを振り切ることはできない。だが、すぐそこにケムナが待っていることがわかっていた。アシストを先行させておき、絶妙なタイミングで前から降ろしてエースを助けさせる―教科書のような「前待ち」が最終局面で決まった。
「完璧な作戦だった」とチームが振り返る第20ステージ最終盤。逃げから降りてきたケムナがヒンドレーの最終アシストを担った。
合流したケムナは全力の牽引で最後のアシストを開始する。すると、わずかにカラパスが遅れ始めた。今大会でカラパスが初めて弱さを見せた瞬間だった。ケムナが刻む強烈なペースのせいか、それともバッドデーだったのかはわからない。だが、これこそがヒンドレーが待ち続けた好機だった。今しかない。ケムナの牽きを助走代わりに、一気に加速した。そこからはただひたすらにペダルを踏み続けた。チームに守られ温存してきた力を一気に解放し、正真正銘の全速力でTarmac SL7と頂きへ駆け上がる。
間違いなく今年のジロのクライマックスだったフェダイア峠でのヒンドレーのアタックと独走。
チームカーの中とレースの2画面でその様子を伝える動画。ガスパロット監督の力強い声と最後の涙に注目。
ヒンドレーがマリアローザを着てジロ最終日の個人タイムトライアルを走るのは2回目だ。2年前は逆転負けを喫し、総合2位に甘んじた。その時の悔しさが彼のモチベーションになっていたという。個人タイムトライアルはヒンドレー自身も課題として認識しており、トレーニングを重ねてきた。2年前とは違う。タイム差は十分だったし、マリアローザカラーをあしらったShiv TTも力を貸してくれた。
ヒンドレーは慎重ながら好走を見せ、カラパスから7秒遅れのステージ15位。最終的に1分18秒の差をつけて総合優勝を手にした。
ヒンドレーがマリアローザを手に入れた第20ステージ、つまり最終日前日の夜、スペシャライズドとチームはヒンドレーのためにバラ色のTarmac SL7を組み上げていた。最終ステージのフィニッシュラインから表彰式の会場である円形闘技場の舞台までの凱旋のために用意されたものだ。ほんのわずかな距離ではあったが、今年のジロ・デ・イタリア王者にとっては至福の時だったに違いない。マリアローザを着てマリアローザカラーのTarmac SL7と走った花道を、この先も忘れることはないだろう。
2年前の忘れ物を新しいチームと一緒に取り戻したヒンドレー。
オーストラリア人選手初のジロ・デ・イタリア覇者にして、2011年ツール・ド・フランスを勝ったカデル・エヴァンス以来となる2人目のグランツール王者の誕生だ。
チームの悲願だった史上初のグランツール総合優勝を達成。
生まれ変わったボーラ・ハンスグローエの物語は、主役を変えてツール・ド・フランスに続いていく。
【筆者紹介】
文章:池田 綾(アヤフィリップ)
ロードレース観戦と自転車旅を愛するサイクリングライターです。ジロが終わると次はツール。7月の開幕に向けて情報収集と寝溜めに励みます。
関連記事:
Fight for the Pink ジロ・デ・イタリア2022プレビュー(2022年5月4日)
Spring is coming 春とともにクラシックシーズンがやって来る(2022年2月25日)
Ready to Winスペシャライズドサポートチームの2022シーズン展望(2022年2月3日)
Win to Winスペシャライズドサポートチームの2021シーズンを振り返る(2021年12月22日)
- カテゴリ
- キーワード