THE BUCKEYE TRAIL | OHIO
木や柱、電柱に塗られた小さな青色の長方形。この目印は、オハイオ州内の特定の場所に通じる、熟考して選ばれたルート上に記されています。
1950年代のオハイオ州では、オハイオ川からエリー湖までを繋ぐ歩行用トレイルが計画されました。このアイデアは、若者に日々をゆっくり過ごさせ、生まれた地を学ばせることが狙いでした。協会が結成され、オハイオ州で最も景色が良く、歴史のある土地の至る所に通じる裏道と小道に沿って、バックアイトレイルが造られたのです。オハイオ州の人々はこれらの道、小道、地域の多くを知っていますが、彼らのほとんどは、その方向を示す小さな青色の長方形の目印のことを知りません。木や柱、電柱に塗られたこの目印は、オハイオ州内の特定の場所に通じる、熟考して選ばれたルート上に記されています。友達のゲイリーが、初めてこの目印を私に教えてくれました。それからすぐに、バイクに乗っているときに「なんて素晴らしい道なんだ」と自分に言い聞かせるようになり、数秒後にバックアイトレイルの目印を目にしたのです。それに気づくと、あちこちにあることがわかりました。地図帳をよく見てみると、当然、オハイオ州を1444マイルの距離で囲う形で、バックアイトレイルが完全に記されていたのです。私はすぐさま、そこを走りたくなりました。
私は、そのトレイルから延びた区間を走ったことのある人物を知りませんでした。実際、州立公園内のハイキングトレイルの先に詳しい人物を探すのに手こずったのです。従って、そのルートに関する自らの知識と、ライダーとしての好みに基づいて、走行計画を立てました。私は横断することが好きなので、オハイオ州(シンシナティ市)メインビルの自宅からスタートし、エリー湖まで行くのが良いと感じました。夫のトムと共に、4年前にこの州の西側を横断したことがあるので、特に魅力を感じたのです。
はるか昔に氷河作用によって押しつぶされたオハイオ州の西側は、ゆるやかな草原のある、とても平らな土地です。当時の私たちのルートは、直線的な平坦路や多くの農地を通る、短めの260マイルでした。また、どの道も舗装されていました。オハイオ州に初めて引っ越してきたとき、4年前に走った場所と全く同じものを想像したのです。面白みのない土地というのは間違っていますが、映画と同様、他にも面白い道があると感じました。長い時間を過ごすと、良く見えてくるものです。オハイオ州は私の注目を一週間、引きつけることができたでしょうか? 私はそう思います。だからこそ、バックアイトレイルを走りたくなったのです。
私はこの州の東側を横断したいと思いました。オハイオ州東部は氷河の影響を受けておらず、より起伏が多く、自然に溢れています。ノートパソコンを取り出し、バックアイのルートを見つけて地図帳からGPSファイルに落とし込み、その明らかなハイキングトレイル(バイクは禁止)を、裏道、未舗装路、ダブルトラックと入れ替えました。この変更以外は青色の目印を辿りました。自宅からエリー湖までの最終的な走行地図は、なんと626マイルにもなり、36000フィートの登りが含まれていたのです。大きな旅になるので、時間をかけた準備が必要となりました。
ルートファイルは私のRide with GPSアカウントに一年間、寂しく放置されていましたが、6月初旬の出発に向けて、春先からチーム員を募集し始めました。このタイミングは完璧でした。トムと私には近いうちにクロスカントリーツアーに出かける予定があり、妹はオハイオ州からオレゴン州ポートランドに引っ越そうと考えていたのです。バックアイトレイルは、私たちの旅に向けて最高の一区切りとなり、装備の調整にもなった一方で、メアリーを18年間過ごした馴染みの土地から送り出す、理想的なきっかけにもなりました。オハイオ州の残りの様子を見るための7日間(うまくいけば)となる長旅の出発日は、6月14日に決まりました。
私たちは次の土曜日にゴールするつもりで、日曜日に出発しました。このルートに余裕を持って取りかかることで、そこをかつて歩いた先祖が費やした時間と同じになるようにタイムリミットを7日間以内としたのです。これはつまり、一日の平均走行距離が90マイルとなり、水泳や観光などの計画外の活動を楽しむ時間があり、悪天候の場合の予備日だけでなく、早い夜や比較的遅い朝にも対処できることを意味しました。
余裕を持って取りかかるというのは、聞こえが良いですが、オハイオ州南東部の地形の起伏の多さは冗談になりません。さらに冬は寒くて雨が多く、夏は湿度が多くて暑い、特有の気候も加わるのです。いつもなら、7、8月になるまで、オハイオ州に激しい暑さや湿度は訪れないのですが、ここはオハイオ州、気候の予測はあてになりません。私たちが走った一週間は、そこの気候系にビルという名のハリケーンがたまたま訪れたときでもあり、徐々にオハイオ州に近づいて、再び曇り空となるまでの約2日半に渡り、晴れ渡った青空、華氏90度、非常に高い湿度の天気となりました。恵みの雨が汗を流し、気温を下げてくれましたが、同時に何もかもを、ずぶ濡れにしてしまったのです。
かくして、最初の4日間は荒天となりました。暑さ、湿度、雨、泥、濡れた地面が、私たちの知る不快感を、新たなレベルまで押し上げたのです。このため、私たちのエネルギーは下がり、ペースも下がりました。しかし私たちは引き返したり、旅を取り止めたりするなど考えることもなく、前進しました。そして痛みを我慢することで、痛みが薄れたのです。地形も、天気も変わりませんでしたが、私たちはようやく慣れてきました。4日間苦しんだあと、悠長な考え方ができるようになってきたのです。
私たちは、ブルーロック採石場、サイオト州立公園の曲がりくねった狭い砂利道、ホッキング・ヒルの洞窟、ウェイン国有林の秘境具合、ゾアにある歴史的に有名な共同集落の奇怪さなどを満喫し、キャンプを終えた帰宅途中のカップルから残り物のご馳走とビールをもらったりして、ディアーズビルという最も友好的な町を楽しみました。カヤホガバレー国立公園を通り、歴史上重要なオハイオ・エリー運河(当時は洪水中)に沿った未舗装の側道を走り、ブランデーワイン滝を見ました。シャボン玉を吹き、花火をし、納屋に避難し、バーベキュー、アイスクリーム、ドーナッツを食べ(別々の機会で)、トイレでキャンプし、オハイオ州をバイクで横断するのになぜこれほど時間がかかるのかを理解できない地元民と冗談を言い合ったのです(より直線的なルートなら、半分の時間で済んだことでしょう)。私たちは、自らが住む州と国立公園を満喫しました。石炭や採油産業の生活環と、それが今や砂漠と化した川や町に及ぼした影響の証拠を目の当たりにしました。エリー湖とそこで大発生したカゲロウを見て、グレート・レイクスという地ビールを飲みながら、足を湖に突っ込んだのです。
私はオハイオ州を見てきました。そこでバイクに乗るのが好きなのです。特に秋のオハイオがお気に入りで、この季節は景色が良いけど、少し過酷な起伏のあるルートを走るのがお勧めです。秋のオハイオ州は赤、オレンジ、黄色に染まり、空気は澄み、爽やかになります。振り返ると、あの時に走っていて良かったなと思います。私たちは、家と呼べる場所をさらに知り、感謝するために旅を続けます。オハイオ州を見てみたくなったら、秋色や雰囲気に浸り、青色の目印を辿ってみてください。
写真:メアリー・リトル(@maryroselytle)、トム・スワロー(@carbon10speed)、サラ・スワロー(@swallowbicycleworks)
バックアイトレイルのバイク用ルート(シンシナティ〜エリー湖):
http://ridewithgps.com/routes/8350930
バックアイトレイル協会に寄付するには:
http://www.buckeyetrail.org/donate.php
バックアイトレイルマップの写真資料:
http://www.buckeyetrail.org/
編集後記:サラと彼女の夫は、ほぼ全てが未舗装のトランスアメリカトレイルを経由するアメリカ横断の壮大な旅に出ています。スワロー夫妻は、通常ならモーターサイクルで挑戦する未舗装のルートを、バイクで走る最初のライダーとなるのです。サラはバックアイトレイルを走ったときと同様、今回もAwol Compに乗っています。彼らの旅を、スワローバイシクルワークスTATサイト、またはサラのインスタグラムでフォローしよう。
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