SEEK & ENJOY: ALASKA中編
最高のご褒美に感謝させるべく、時には過酷なライディングも必要とするのではないでしょうか?
私はマウンテンバイクの聖地に住んで仕事ができ、幸運に思います。そこのトレイルは素晴らしく、変化に富んでいます。コロラド州デュランゴでマウンテンバイクに乗るというのは、オフロードタイヤ天国で暮らす、ということです。しかし、理想的なマウンテンバイクライフは、仲間とのハイファイブをし、トレイルの出口でビールを毎日飲むというほど単純なことでしょうか? 天国は正しい釣り合いを保ち、私たちを惹き付け、ホームのトレイルや景色を維持させ、最高のご褒美に感謝させるべく、時には過酷なライディングも必要とするのではないでしょうか? これこそ、アラスカのブルックス山脈を訪れた今回の旅のような冒険をするべきだ、と私が自分を説得させるときに用いる考え方です。
旅はドルトン・ハイウェイ脇で、午後7時過ぎに本格的に始まりました。その場所ではアッティガン川がその道と交差しているのです。私たちは大型トレーラーと抜きつ抜かれつの疑似レースを10時間も行ったばかりで、神経はすり減っていましたが、私は旅を始めたくてむずむずしていました。四六時中、外が明るいので、私たちのルートの最も厳しいポイントへと、直接入って行くことができました。
全身をドライスーツで包み、ファットバイクや10日間分の装備と食料を載せてアッティガン渓谷をパドリングしたのです。念入りな調査と準備の結果、この渓谷を開始点とすることにしました。ハイウェイからこの山脈の東側を越えるには最高の方法でしたが、この渓谷は流れが速くて容赦ないため過酷であると評判でした。実際、自分で調べてみたら、ここを通るのは止めようとさえ思いました。しかし、より確実な調査をし、心強いパックラフティング仲間もいたため、私はグループとしての安全管理ができていると判断したのです。悲観的とも言えるほど入念に荷物をまとめてから渓谷へと吸い込まれた私たちは、9日間の旅で一切の外界との関わりを断つことになりました。広大な未開の大自然が待ち構えていましたが、あまりにも広大すぎたので、私たちの旅などその中で消滅しそうであり、その表面をわずかに引っかいた程度のようなものでした。
午前1時、サガバンアークトック川との合流点で、陸に上がりました。擦り傷や打ち身を患ったものの、到着した皆は生き生きとしており、辺りを覆い、目に見えて濃くなっていく霧の層から突き出た急な灰色の山々に囲まれた緑色の波打つ谷へと入って行きました。この霧の層は、真夜中の太陽をすぐに暗くしてしまうのです。そこからシンプルだけどたまらなく楽しい夜の仕事が始ました。小枝を集め、火を起こして水を沸かし、料理し、世間話をし、その日のハイライトを振り返り、世間話をさらにし、寒くなったら火を強め、食料を枕代わりにして、そのまま居眠りしたのです…
ジョンの恐怖が川であれば、私の恐怖はこれからの旅で起こるものでした。翌4、5日のルートは陸路です。谷に沿って避けられない小道まで登り、次の集水域まで走って(可能であれば)下ります。そこには注意しながら進む、そのような小道が3本あり、それに繋がる谷は無数にありました。私の恐怖は、地形が走行不可能になるという、とても現実味を帯びた可能性でした。どうにもならなくなるまで、大自然のど真ん中まで友達2人を連れて行くことに、罪の意識を感じたのです。アイヴィシャック川の上流に出るには、この山脈を100マイルも横断する必要があり、そこから北へ100マイルもパドルして、なんとかフィニッシュに辿り着けるのです。100マイルは、使うことのできないバイクや数百ポンドものラフティングとキャンプ道具を持って歩くには、とても長い距離です。
初日の朝、起きて身の回りに目をやり、自分の位置を確認したのですが、私たちがキャンプした小さな砂州は、目で見える範囲で唯一の走行可能な場所であることがわかり、がっかりしました。キャンプ地はどの方向を見ても、北極地方の果てしない薮と岩だらけの山の斜面に囲まれていたのです。皆はこう思いました。「これはやっかいなことになるぞ」。
「ライド」の最初の3時間のうち、2時間半は薮と湿地を押して進み、残りの30分は短い間隔で乗り降りを繰り返しました。これが、私たちが最初に体験した北極圏のライドです。幸いにも、旅の中でもまだ標高の低い場所にいて、標高が上がるほど、ライドがより楽しくなりました。谷の方角である南西は乗車率が高い、と気づくのにそれほど時間はかかりませんでした。こうして、ブルックス山脈を学んでいったのです。
‐続く
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