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Cav is back in the pack ―マーク・カヴェンディッシュの帰還

2020/12/18

Cav is back in the pack ―マーク・カヴェンディッシュの帰還

2021年からドゥクーニンク・クイックステップに移籍するマーク・カヴェンディッシュ。「マン島超特急」のこれまでを紹介します。

そのニュースは驚きとともにプロトンを駆け抜けた。マーク・カヴェンディッシュ、ドゥクーニンク・クイックステップへ移籍。カヴェンディッシュは2013年から2015年を同チームで過ごしており、5年ぶりに古巣に復帰することになる。

チーム発表の直前にカヴェンディッシュが移籍を示唆するような画像をSNSに投稿。
ウルフパック(狼の群れ)=ドゥクーニンク・クイックステップだと気付いたファン達が騒然となった。

カヴェンディッシュはイギリス出身の35歳。出身地にちなんで「マン島超特急」「マン島ミサイル」の異名を持つスプリンターだ。
2007年のプロデビュー以降、14年のキャリアの中で手にした勝利は150に迫る。現役選手の中ではもちろん、歴代の選手を含めてもトップクラスの戦績だ。しかし近年は勝利から遠ざかり、今シーズンの終盤には引退を匂わせるような言動が話題になった程。そんな「カヴ」の、ドゥクーニンク・クイックステップでの現役続行が決定した。

輝かしい戦績

カヴェンディッシュのキャリアはトラック競技から始まった。19歳でロサンゼルス・トラック世界選手権マディソンを制覇。2006年8月からトレーニー(研修生)契約を結んでいたT-モバイルチーム(当時)と本契約を交わし、2007年から本格的にロードレースを走りだした。

プロ初年となる2007年、スヘルデプライスでロビー・マキュアン(オーストラリア/当時プレディクトール・ロット)を相手にスプリントで勝利。ツール・ド・フランスで3度ポイント賞を獲得している強豪スプリンターを打ち破った勢いのまま、更にボルタ・ア・カタルーニャ、エネコツアー、ツアー・オブ・ブリテンなどで勝利数を伸ばしていく。

2008年はジロ・デ・イタリアでステージ2勝。前年に続き途中棄権となったが、ツールではステージ4勝を記録する。
2009年には初のモニュメントタイトルとなるミラノ〜サンレモを制覇。ジロではチームタイムトライアルを含む4勝をマーク、総合リーダージャージであるマリアローザも着用した。更にツールでは「スプリンターの世界選手権」と言われる最終日のパリ・シャンゼリゼステージを含めてステージ6勝。破竹の快進撃を続ける。

集団スプリントとなった2009年ミラノ〜サンレモ。
ハインリッヒ・ハウッスラー(ドイツ/サーヴェロ)とのスプリント対決を制し、初出場でビッグタイトルを手にした。

 

2010年はオフシーズンに歯の矯正を行った影響で序盤こそ低調だったが、ツールで圧巻のステージ5勝。初出場のブエルタ・ア・エスパーニャではステージ4勝。チームタイムトライアルを制した第1ステージで総合リーダージャージのマイヨロホを着用、加えて最終的にはポイント賞に輝いた。
2011年はジロ、ツール、ブエルタと全てのグランツールに出場。ジロでステージ3勝ののちツールではステージ5勝、そして遂にポイント賞を獲得しマイヨヴェールを勝ち取る。ブエルタは未勝利のまま途中棄権となったが、シーズン終盤のコペンハーゲン世界選手権で優勝。世界王者の証アルカンシェルを得て、名実ともに世界最強のスプリンターとなった。

2011年コペンハーゲン世界選手権を勝利したカヴェンディッシュが着用していたのは、エアロ性能を高めるスキンスーツとベント(通気口)をプラスチックのようなもので覆ったスペシャライズド製のヘルメット。
当時はエアロ特性を取り入れたギアはまだ珍しかった。まさにエアロの勝利の先駆けである。

2012年は母国イギリスチームであるスカイプロサイクリング(当時)に所属。ジロとツールを走り、それぞれステージ3勝を決めた。この年もツール最終ステージを勝っており、4年連続でシャンゼリゼを制している。
しかしグランツール優勝を目指す総合系チームのスカイでは自身のスプリント勝利を追い求めることができないため、2013年オメガファーマ・クイックステップ(当時)への移籍を決める。同年、ジロで怒涛のステージ5勝に加えてポイント賞を獲得し、全グランツールのポイント賞をコンプリート。特にツアー・オブ・カリフォルニア等ステージレースにおけるスプリントステージでは敵無しの強さを見せ、同チームに所属した3年間で44勝(うち8勝はグランツールのステージ勝利)を積み重ねている。

カヴェンディッシュの活躍を下支えしてきたのが、世界最速を目指すスペシャライズドのテクノロジーだ。カリフォルニア州モーガンヒルのスペシャライズド本社近くに設立された専用の風洞実験施設「Win Tunnel(ウィントンネル)」を活用したポジショニング調整やリードアウトトレインテスト、そして2015年に投入された高速域でのスピードに優れるVenge ViASなど、飽くなきエアロダイナミクスの追求がカヴェンディッシュのスプリントをもう一段加速させたのである。

2014年にはカヴェンディッシュ仕様のアパレルやバイクギアが登場。
2011年に勝ち取ったマイヨヴェールをイメージした蛍光グリーン、そして強さとスピードを感じさせるデザインが特徴だ。


2015年ツアー・オブ・カリフォルニアでは4つ全てのスプリントステージを制し、ポイント賞も獲得と絶好調。
カヴェンディッシュはとても表情豊かな選手。ガッツポーズから喜びが溢れ出す。Photo:©WATSON

2016年からはディメンションデータ(当時)に所属。ツール第1ステージで勝利し、10度目の出場にして初めてマイヨジョーヌを手にする。これでカヴェンディッシュは全グランツールでポイント賞を獲得し、総合リーダージャージを着た選手となった。その後もステージを3勝し、ツールでの通算ステージ勝利数を30勝に伸ばした。この記録はエディ・メルクスの34勝に次ぐ歴代2位の記録である(2020年12月時点)。

カヴェンディッシュの武器はトラック競技で培った爆発的な加速力だ。175p70sとスプリンターとしては小柄だが、リードアウトトレインから好位置で発射されればライバルを寄せ付けない。更に位置取りも上手く、フィニッシュ前の混戦をいなして勝ち切る強さも持つ。

原点であるトラック競技には、今もロードと並行して取り組んでいる。2005年に加えて2008年と2016年にもトラック世界選手権マディソンで優勝を飾り、同種目では3度の世界タイトルに輝く。6日間レースへの出場も続け、トラック競技での東京五輪出場を目指している。


オメガファーマ・クイックステップ在籍時代はチームメイトのイーリョ・ケイセ(ベルギー)とヘント6日間レースに出場。
2019年にも同レースでペアを再結成、4日目に勝利を飾っている。ケイセはヘント6日間レースで7度の優勝経験を持つトラックレースのスペシャリスト。来年の
カヴのチーム復帰を待ち遠しく思っているに違いない。Photo:© Tim De Waele/Getty Images

暗闇を抜けて

最強の名をほしいままにしてきたカヴェンディッシュだが、2016年以降は成績不振が続く。度重なる落車負傷に加えて2017年4月には伝染性単核球症への罹患が判明、戦線離脱を強いられた。その後レースへの復帰を果たしたものの、不調から抜け出すことができない。2018年8月に再び伝染性単核球症を患い、更にうつ病を発症していたことを告白。3年ぶりにフルシーズンを走り切ったものの、2019年はプロデビュー以降初の未勝利に終わる。

かつてのチャンピオンは苦しい時間を過ごしていた。旧知の恩師と再合流を果たすためにバーレーン・マクラーレンに移籍した2020年も、前年に続きツールへの出場は叶わなかった。そしてシーズン終盤、10月11日に開催されたヘント〜ウェヴェルヘムを走り終わったカヴェンディッシュは「これがキャリア最後のレースになるかもしれない」と涙をこぼした。

「これが最後かもしれない」。レース後に見せた涙は世界中のファンを驚かせた。

加えて3日後のスヘルデプライスではフィニッシュまで1kmを走行中、バイクに付けられたナンバープレートを外して仕舞う姿が報じられた。スヘルデプライスはカヴェンディッシュにとってはプロ初勝利を飾った思い入れの深いレースだ。感傷的な行動に、当然のように引退の憶測が飛び交った。

神妙な表情でバイクのプレートを外し、ジャージのポケットに仕舞うカヴェンディッシュ。

カヴェンディッシュには2021年の契約がなかった。いくら走るモチベーションがあっても、チームに所属しなければ選手を続けていくことはできない。
しかし彼は諦めなかった。シーズン最終戦となった10月21日AGドリダーフス・ブルージュ〜デパンヌ終了後、カヴェンディッシュはドゥクーニンク・クイックステップのゼネラルマネジャーであるパトリック・ルフェーブルにチーム復帰を直談判する。だが、ともに数々の栄光を積み上げてきた選手からの願いを、ルフェーブルは叶えることはできなかった。来シーズンに向けたチームの陣容は既に決まっており、彼ほどの強豪選手を雇う予算がなかったのである。

物別れに終わった会談の1週間後、事態は急転する。カヴェンディッシュにスポンサーが付くことになったのだ。つまりチーム加入の障壁になっていた資金問題を、カヴェンディッシュが自ら解決したのである。
ルフェーブルが
断る理由は、もうなかった。選手としてのピークは過ぎているかもしれない。かつてのように連勝に次ぐ連勝を生み出すことは難しいかもしれない。だが彼のような偉大な選手を、所属チームが決まらないという理由で引退させて良いわけがない。
こうして、カヴェンディッシュのウルフパック加入が決まったのである。

ウルフパックの一員として

古巣への復帰を喜ぶカヴェンディッシュ。しかしドゥクーニンク・クイックステップには2020年ツールポイント賞のサム・ベネット(アイルランド)を筆頭にアルバロホセ・ホッジ(コロンビア)、そしてツール・ド・ポローニュでの事故で戦線離脱中のファビオ・ヤコブセン(オランダ)と名スプリンターが揃う。直近の状況を鑑みると、カヴェンディッシュが彼らと肩を並べて活躍していく姿を想像するのは難しい。チーム首脳陣も豊富な経験を若い選手達に伝えるキャプテン役を期待しているようだ。

チームにとってはカヴェンディッシュの加入は完全に予定外であり、タイミングも遅かった。既に2021年シーズンのレーススケジュールは決まりつつある上に、カヴェンディッシュは常勝軍団の中でレース出場のチャンスを掴まなくてはならない。まずはチームのトレーニングプランに則って、復調を目指すことになるだろう。

2017年から3年間チームに所属したフィリップ・ジルベール(ベルギー)も、不調に苦しむ中で再起を目指してドゥクーニンク・クイックステップへの移籍を決めた選手の一人だった。ジルベールは若手選手達の模範となり、彼らを献身的にサポートしながらチームに多くの勝利をもたらした。その中で、彼自身の悲願であったロンド・ファン・フラーンデレンとパリ〜ルーベというモニュメントタイトルを勝ち取っている。

ジルベールは34歳でウルフパックの仲間となり、唯一無二の狼になった。35歳のカヴェンディッシュは、どんな狼になるのだろうか。

2021年のカヴェンディッシュは再びスペシャライズドバイクに乗る。Tarmac SL7を駆るマン島超特急の走りに期待しよう。


【筆者紹介】
文章:池田 綾(アヤフィリップ)
サイクリングライター。ロードレース観戦を始めた頃、スプリントで勝ちまくっていたのがクイックステップ時代のカヴェンディッシュでした。偉大なチャンピオンが望む場所で走り続けられることを、とても嬉しく思います。

池田綾さんの記事はこちらから>

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